平成23年3月11日14時46分 宮城県沖でマグニチュード9.0の大地震が発生しました。
東日本大震災です。
阪神淡路大震災の際もそうでしたが、自分の目で確かめて感じることは建築に携わる身として非常に重要なことであるという思いから、我々は4月19日名古屋発の深夜バスで東北に向かいました。
原発問題で、すぐには現地入りが難しかった事を憶えています。
石巻で社員の親戚縁者のご無事を確認した後、大船渡・気仙沼・陸前高田と被害の大きかった沿岸部を中心に調査する事にしました。
まずは被害の大きさを実感し、肌で感じ、少しでも被災された方々の気持ちに近づきたいと考えました。
テレビや新聞の報道では伝わらない津波被害の圧倒的なスケールに呆然とし、言葉を失いました。
流された瓦礫を目の前に出てくる言葉はありませんでした。気仙沼では重油による火災が広く発生した模様で、さながら戦火の跡のように街が焼け焦がれていました。被害が甚大であった陸前高田では延々8kmに渡り何もかも流されてしまった街だった場所が瓦礫となって目の前に広がっていました。まだまだ亡くなられた方々の遺体収容が続く中、警察や自衛隊の方々が本当に一生懸命働いておられる姿がとても印象に残っています。
また、桜舞う季節で遅い入学式を本来通う学校とは違う校舎で迎え、体育館の共同生活所に少し疲れた様子で帰って行く学生を見て、同じ年代の子を持つ親としてこみ上げてくるものがありました。何かお役に立てればと強く思いました。
次に、ゴールデンウィークに前回廻った沿岸部とは対照的に、内陸部で震度7〜8が発生したといわれる宮城県大崎市に入って調査をしました。沿岸部の津波被害とは異なる被害の様子がそこにはありました。
阪神大震災のような内陸活断層直下型の突き上げる地震とは違う、周期の長い海溝型地震と同調した建物が共振して崩れる姿を確認致しました。
おなくなりになられた方々のご冥福をお祈りするとともに、これからも調査を重ね被害を最小限に抑える方法を考え、少しでも復興のお手伝いをさせていただく事が出来ればと思っております。